きょうも好きなものを書く
ボブ・ディラン
雨のためチケットはヨレヨレヨォ〜ロレィティ〜ケット
パレっトタウンの観覧車。真下から見る。
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●あれから32年のボブ・ディラン
25日に、工房で「きょうはこれからボブ・ディランに行くんだ〜」と言ったら、まったくの無反応であった。「ホフディランなら知ってる」という者一名で、笑った。
さらに別の一人が「バンクーバーオリンピックの時出てたよね」と言うので、即「それはニール・ヤングやがな〜」と諦め気分でぶっきらぼうに関西弁でツッコミを入れた。そうこうしているとロック友達のHちゃんが来たのでようやくそれなりにライブ前の気分になってよかった。しかしこの認知度の差は年齢とは関係なくて(実際この二名は若いわけではなく40代であった)、いかに興味の範囲が違うか、という事による。かといって別の人の話題では一緒になって盛り上がれるわけで、人は違ってておもしろく、共鳴しあっておもしろく。いつまでも違っていることがおもしろいと感じる人間でありたいものだと思う。
この日は生憎の雨。久しぶりにIさんと行く。お台場パレットタウンの「ZEPP TOKYO」。観覧車の真下だ。知り合い編集長さん遭遇。お客さんは思ったほどオヤジだらけでもなかったが、親子で来てる人もいて、歴史だなぁ〜、と思うのでした。
前から5列目くらいのスタンディング。ぎゅうぎゅうと押されながらも小さいところで見られてよかった。メンバーはベース、ギター、ドラム、スチールギターetc.キーボードのディラン。ディランは白いつばの広い帽子にユダヤ人っぽい黒い長いジャケットで、紫色のシャツだった。ほかのメンバーは黒いシャツにグレーのスーツで、渋い。32年前は真っ白のスーツで薄化粧だった。
アメリカのヤクザなブルーズマンという感じ。ベースはウッドベースだったりエレキベースだったり。ギターはチャーリー・セクストンで、全編弾きまくりだったが、渋いので音数が多いわけではなくすばらしく良かった、とわたしは思った。歳はとっていたけれど、シュッとした風貌は昔とかわらず、美形だなあ。ディランはキーボードとブルースハープで、1曲だけギターを弾いた。そのギターの持ち方が随分立てて持っていたので、『もしかしてわたしみたいに肩に問題あり!?』と思ったりして。わたしもネックの遠くが届かない状態なので立ててないと弾けないのよね〜。今回のツアーでは毎回数曲以外はガラッとセットリストが変わっているようで、この日までにすでに51曲(だったと思う)もやっていた。これは凄いことだなあと思う。そうゆうこともあってか、曲によってはディランとセクストンが顔を見合わせて様子をうかがう感じだったねえ。ディランがコードを捜しているような感じをセクストンが「ホラ、ここここ」って感じで促す風な時も見受けられた。多少演奏がヨレッていても、この挑戦は凄いことだと思うのだ。
セットリスト見つけたので丸うつしで載せてしまうゾ。
1. Watching The River Flow
2. It's All Over Now, Baby Blue
3. The Levee's Gonna Break
4. Just Like A Woman もちろんうれしかった
5. Things Have Changed
6. Girl Of The North Country (Bob on guitar)ギターがたっていた
7. High Water (For Charley Patton)
よかった
8. A Hard Rain's A-Gonna Fall
9. I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
10. Love Sickよかった
11. Highway 61 Revisited よかった
12. When The Deal Goes Down
13. Thunder On The Mountain よかった
14. Ballad Of A Thin Man よかった
(encore)
15. Like A Rolling Stone ( Donnie on pedal steel)
もちろん盛り上がった
16. Jolene
17. All Along The Watchtower ジミヘンのもあとで聞いた
わかった曲は6曲くらいで、どの曲もアレンジされているし、歌い方が森進一のように「タメ」があるのでなかなかわかりにくい。でも、充分今のディランを楽しめてよかった。転がる石のように・・・・変化しつづけているディランなのだから、その時のその状態を楽しみたい。大昔武道館に来た時にもアッケにとられながらもわたしはその時のディランを目撃したことをよかったと思った。しかし、あの時よりも今回の方がよかったんだなあ・・・・。多分、それは、わたしがこの何十年の間にディランの血と肉になったルーツをそれなりにわたし自身吸収していたからなのだろうと思う。
ディランも変化しているし、聞いているわたしも変化している。だから、おもしろい。長くやっている人のを聞くのは、そうゆうところがおもしろいのだ。が、それもディランだから良いのかもねえ。変化することを知っているから。バンドだったら、昔のままのオリジナルで聞きたい!と熱烈に思うかもしれない。
最後は全員が一列に並んでステージ中央へ。壮観な感じだった。キャーキャーと手を振るでもなく、これまた渋い絵面でした。ふぅ〜〜〜
●展覧会がつづくのだ
9枚シリーズの「柳模様ストーリー」は8枚目の試刷り中。9枚目の下絵にてこずっている。何故てこずっているのか考えてみた。それはこの絵の内容がとても幸せなものだからだということに気づいた。なんてことだ。幸せを描けないのか・・・・
5月の個展のすぐあとには『蔵書票展』に参加する。これはリトグラフ作家濱中くんの企画で、16名が参加することになった。ほとんどが工房のメンバーなので、DMつくり、会計など進んで係をしてくれている人たちのやりとりしているのを見聞きしたり意見を言ったりしている。人数が多いと価値観もそれぞれで、企画者はなかなか大変だ。でも、濱中くんは夢を持ってやっている!だから、面倒なことも飄々と切り抜けて、限られた制約の中でどんだけ楽しめるかを模索していて素敵だ。しかもその制約すらも飛び出そうとするところがさらにパンクであ〜る。そうゆう一歩踏み出す努力とイマジネーションが大事だと思う今日この頃。こうゆう人にはいくらでも手を貸したいと思うものだ。なんでも言ってくれ!わたしは手伝うよ。違っていることをおもしろいと思う気持ち、枠を飛び出す努力とイマジネーション、これこれ。これについて考えた1週間でありました。
●街は生きている
22日月曜日は原宿の「VACANT』に湯浅さんの18歳の時に作った8ミリ映画を見に行った。そのあとNRQと湯浅湾のライブも見る。イベントではフリマもやっていて、アメリコ西岡さんと初おしゃべり、NRQの牧野くん&ひらちんのおこちゃまにも会えてよかった。赤ちゃんはかわいいなあ〜。お父さんにもお母さんにも似ている。
湯浅さんの映画は「我が道を行く』。白黒のフジカシングル8を使用したそうだ。わたしも持ってるぞ〜。で、この方人前でわたしと話す時には必ず「同い年なんだよ!」とひときわ大きな声をお出しになる。これはもうずっとそうで、そのたびにこの人は文章はうまいけど男としては本当に紳士じゃない!と思うのだった。一度「なんでそんなに女の年齢を口にするのだ!失礼な」と言ったことはあるのだ。答えは「だって、この年齢で現役でバンドやってるのが嬉しいんだもん」と言っていたので、まあ許すことにしたのだ。
てなわけで、映画に映し出される街・・・・横浜駅西口広場や、都電、ほか公園や道路を走るその当時のブルバードやスカイラインなどの車たちがチョー懐かしくてクラッとなってしまうのでした。制服姿にしても、ソックタッチをつけたソックスやらかわいいピンで前髪をとめたスタイルとか、読んでる「ガロ」とか。もしもこの時にわたしも同じようにフジカシングルエイトでフィルムを撮っていたのなら、多分出てくる雑誌は「ミュージック・ライフ」だろうと思う。ああ、嫌だなあ。で、湯浅さんはBGMにはっぴいえんどを使っていたらしい(この日は湯浅湾が生でBGMをつけていた)(なので路面電車が出てくる)けど、わたしだったらT・レックスとかアル・クーパーとかだったんじゃないかと思う。そんなこんなでタイムスリップを楽しんだ。
NRQで台湾のおじさんの曲を聞く。明るい。この日は中尾さんはいなくって、山口くんがドラムをやっていた。湯浅湾でも勿論やっているけれど、山口くんのドラムはいいな。最近見てなかったけれど、随分熟練〜〜〜な感じになっているではないか・・・。きっと人間的に成長してるんでしょうねえ。そうそう、そうやって人は変化していってサ、長くやってるミュージシャンはおもしろくなるんだよ。湯浅湾には西岡さんがゲストで数曲歌い、野郎ばかりの中華やいでよかったヨ。女ばっかり見るのは女だからなのか辛いものがあるけれど、男ばっかりでもやっぱり辛いものはあり、女の人がスッと出てくるとホッとなるもんだなあ・・と思う。そんな風に思われる女になりたいもんだが、多分わたしはそんな風ではないと思う。ホッとなれないと思う。
街はどんどん変化する。湯浅さんとも話したけれど、街の記憶は不思議とこびりついていたハズなのに幻のように消えていくもので、ああ写真があればよかったのに・・と思うのだ。なので、わたしは大好きな原宿、通いつづけている原宿を写真に撮っておこう!と最近思うようになったのだ。
高校の三年間住んでいた西宮北口。今だったらたくさん写真をとっていたことだろう。あの駅前の商店街、宝塚線の踏切、西宮球場、バイトした喫茶店とレコード屋、そこのお姉さん、パン屋のカスカード、画材屋、エレクトーン教室、たむろした喫茶店「孤木」、柳が並んだ小さな川。裏のお兄さんが作ったジャズ喫茶「JAZZ」、友達と進路の話を夕方までしていたブランコのある公園、絵画教室の汚いドア。うーん、匂いまで思い出してきた。
中学の1年半いた仙台についてはあまりそうゆう記憶がないので、やっぱり高校時代が一番青春だったのね。あとは生田小学校の頃かな。そうそう、貸本屋がありまして、そこで楳図かずおばかりを借りていたのだけど、水木しげるのはいつからどこで読んでいたのか思い出せない。4月から朝の連ドラが「ゲゲゲの女房」になるので、楽しみ。
●さらに近況
23日火曜日は等々力競技場にAFC『川崎フロンターレVSメルボルン』を見にK太郎と。勝ってルンルンとなってはいたのだけれど、帰りに事件が起こった。
川崎の乗り換えの階段でツルッと滑ってしまった。左肩から転ぶとマズイと思いつつも結局は左側全体をドーンと打ってしまった。さて、普通スッ転ぶと本人は照れ笑いをし、横を行く人は様子を見てひどそうだったら「大丈夫ですか?」と手を貸すものだ。しかし・・・川崎の乗り換え夜9時すぎともなれば家路を急ぐ一杯飲んだサラリーマンばかり。わたしを見ても特に見て見ぬフリ。そしてなんといっても恐ろしいことに、あまりの激痛に相当大きい声で「ア〜〜〜〜ッ、イッタ〜〜〜〜〜イ!!」と叫んでしまったのありました。こんなことはお産以来ない。
このフローズンショルダーの特徴としては、激痛は収まるまでに約1分かかる。そしてわたしはまるで銃で撃たれたか刀で切られたかのように足を引きずりながら(足は痛めてないのに)右手で左腕をおさえて「K,K,K太郎〜〜〜〜」と弱々しく歩いていったのだった。小声で「本当に痛いわぁ・・・・」と言ったら「あんたがそんなに小声の時はマジだな」と言って(要するに普段はまともな事を言っていないのだ)荷物を持ってくれたのだった。男の子は頼りになるなあ。
痛さは半端じゃなかったのだけれど、この様子が他人事のようにおかしかったので、あとからあとから笑えるのだった。しかし、翌日になったら足にはアオタンがあり、手にもすりきずがあった。雨の日は本当に気をつけようねー。肩関節のヒアルロン酸注入は3回目。あまり変わらない。指のしびれも少しある。アパラチアン・ダルシマーのせいかもしれない。
24日水曜日は子どもの高校説明会にも行ったゾイ。いきなり頭髪チェックがあった。でも、そんなにビックリするようなヘアスタイルの子は見られなかったなぁ。わたしのヘアスタイルの方が赤いしリーゼントだし酷いと思った。K太郎はサッカー部の説明会にも行く。鳩山政権で授業料はラッキ〜なことになるけれど、ユニフォームって高いのね。全部揃えると6万くらいかかるジャンー。しかも地方へ遠征なんてのもあるらしい。とか言って、ギターだってそのくらいするんだから文句は言えない。
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