なんなんでしょうねえ。きょうは円盤でサボテンのライヴがあって非常に疲れて帰ってきたのですが、疲れ過ぎてどうも眠れないので、いつものように日記書くことにしました。もぅコレ趣味ですねえ。
ライヴはライヴでまた書くとして、きょう家を出る時にマツキヨ氏と知り合いの測量士Gさんのことで盛り上がってました。
わたしの歳は秘密ですが(って、すぐにわかることなんですが)、最近大きな美術館の展覧会に行ってでつくづき思うことは、少し年上の知り合いの作品が美術館に展示されるようになったということです。わたしは現代アートが結構好きなので、特にそうゆうのを目にしてしまうのかもしれませんが。そうゆう年代になっちゃったんだなぁ、としみじみしちゃいます。
きょうわたしがずっとイラストの仕事でお世話になっている草思社の編集長で詩人の一色真理さんから、いつものようにわたしのイラストが載っているYAMAHAのピアノを習っている方のための小冊子「ピアノの本」が届きました。もぅ10年以上やってると思います。一色さんは詩人として好きだったので、その方が直接の編集長だったのを知った時にはビックリしたものでした。一色さんとサティのピアノ弾きの島田璃里さんはこれまた知り合いで、マツキヨ氏ともピアノ(島田璃里さん)と朗読(一色真理さん)とチェロ(松本清志)でご一緒したりしていました。勿論サボテンも島田璃里さんとはサティのイベントでご一緒した事があります。
「ピアノの本」が送られてくる時、素敵なのは、原稿の返却と同時に、一色さんが一言必ず何か書き添えて来てくれることなんです。失礼ながらとても汚い字。でも、書いてあることがいつもホットするような良い話で、わたしはこれを大事にとっています。詩人のすばらしさは、短いことばでグッと気持ちを引き寄せてしまうことですねえ。
今回書かれていたのは、『詩と思想』という雑誌の仕事で一色さんが秋山祐徳太子にインタビューをしたということでした。秋山さんの居所は島田璃里さん経由でお聞きになったそうで、ああ、そうなんだ、そうゆう繋がりがあるんだ・・と思うわけです(パフォーマーの浜田剛爾さんは島田さんのご主人でもあります)。なんかわかるなぁ、ってことで。で、その雑誌の特集は「にせもの」だそうです。一色さんの一番新しい詩集のタイトルは「偽夢日記」なんです。これは氏がWeb上で何人かの方と本当に見た夢を感想なしに書きつづっていったものをもとにしたフィクション。勿論詩人として再構築しています。サイトはわたしのリンクページにも貼ってあります。わたしも最初のころ、ある夢の話しを送らせてもらいました。今でもしょっちゅう見る夢の話しです。カバン売り場からつながる地下道の夢です。
秋山さんへのインタビューは「にせものの輝き」だそうです。楽しみだなぁ、と思いました。それは一色さんの文面が「にせもの」「まがいもの」好きだから・・・として、とても楽しそうだったのもあるし、先日六本木ヒルズの森美術館で見た「東京-ベルリン展」における秋山祐徳太子のお札の貼られたイカサマ的なカバンの展示を見ていたこともある。別にわたしは秋山祐徳太子と知り合いではありませんが、親近感が妙にあるんですよ。それは、小学生の頃に見たテレビ番組で強烈な印象を受けていたからなんです。
小学生の時に受けたトラウマの一つですねえ。NHK教育の影絵「耳無し芳一」と、ゴヤの画集の「わが子を食らうサトゥルヌス」と、「海底二万里」(だったかな?)に出てきた巨大イカ。ま、ほかにもいろいろあるにはあるんですが、それと「万国ビックリショー」という公開番組(多分生)に出た秋山祐徳太子なのでした。
「万国ビックリショー」にはいろんな人が出たなぁ。黒いマントを着て出てきて、回答者が三人くらい(安達瞳子とか)いて、何をする人か当てるんですが、たとえば、目でろうそくの火を消す人とか、普通に曲芸する人とか。で、我がトラウマの秋山祐徳太子さんですが、この時このかたは生け花の人として登場したんです。
この番組はドリフの全員集合みたいにホールでやってまして、観客がたくさん見てるんです。老若男女。で、ステージにビキニのおねえちゃんが数人ポーズとって大きな台に乗って登場しちゃいます。秋山さんはそのおねえちゃんたちから少し離れたところに立ちまして、花を口にくわえ、また、抱え込み、「エイヤッ!」とビキニの美女たちに投げ付けるんです!コレはわたしが見た初めてのパフォーマンスってヤツに違いないです!
『美女の生け花』ですっ!
わたしは家族五人で、居間にいて、チビまる子ちゃんのように赤いスカートをはいておせんべいを食べながら「まったくあきれたねー」なんて言った(ビキニを見て顔が赤くなってるんだけど、照れ隠ししながら)と思いますが、心の中では、『ビキニのおねえちゃんたち、エッチ・・・これを家族で見なければならない子どもの身になってみろ!ゴールデンタイムだぞ、でも、このオッチャンそれわかってやってんだろうなあ、みんなが唖然とするのを楽しんでるんだろうなあ、本当はコレが職業なんじゃないんだろうなぁ、だって全然きれいとは思えないもん。ただ、脅かしたいとか、訳知り顔の回答者が絶句するようなことしたかったんだろうなぁ、凄いなぁ・・・』と最後にはその意図に感心させられてしまったのでした。
これが何故かトラウマとなりまして、この人が出てくるともぅ心臓がドキドキするわけですよね。なんだか恥ずかしい思いをさせられるんじゃないかって思って。そいで、選挙ですよ。NHKの政見放送ですよ。アレやっぱり恥ずかしかったよねえ、この人の。でも、やっぱり見てしまって、『うわー、恥ずかしいと見る人に感じさせたいんだよ、この人!』と、また忘れた頃に新たなトラウマを植え付けられてしまったわけですねえ。
インタビューではどんなことを語ったのかわかりませんが、「まがいもの」を生きてきたのかなぁ、なんて思いました。その場その場で「まがいもの」を演じ、見る人に衝撃を与える。衝撃を与えるのにもいろいろあって、このかたからドキドキトラウマを植え付けられてもどうしても嫌いになれないのは、汚さがないからなんだと思います。大きな声を出して脅かしたり、一時はやったハードコアなことをしたりするわけではなくって、結局おかしさが残る。コレがきっとこの方の良さなのだと思います。ダダが好きなのは、おかしさが残るところで、コレがかわいらしさでもあり、人はやはりかわいらしさがなくちゃ駄目よねえ、と思っているので、こうゆうのが好きなわけです。
エエト、で、何の話しだっけ・・・??ライヴのあとでビール飲んで疲れて帰ってきたので、何書いてるのかわかんなくなっちゃった。エート、そうそう、で、知り合いの測量士Gさんの話しに繋がるんですよ、コレが。この方はジャズ評論家のSさんと知り合いで、マツキヨ氏あたりはフリージャズやってたんで知り合いになったわけね。で、このGさんがおもしろいのは、当時売れない芸術家の作品を一律一万円で買って助けていたそうなんです。勿論秋山祐徳太子の作品もあったそうで、ブリキのネクタイ(withお札)があって、Gさん時々それを付けて仕事されていたそうです。きっと今は有名になって美術館に飾られている作家のものがたくさんあるんだろうと思います。Gさんの奥様は一度わたしの個展にも来てくださった。この一律一万円芸術作品が山のようにあるそうで、それで御殿が建ったかもってくらいたくさんらしいです。ああ、見たい。Gさん、私設美術館でも作らないかしら。
なんてことを書いて、今思い出しましたが、きのうちょっと「ヨコハマメリーさん」の話しを新聞等で読んで、懐かしく思いました。映画になったんですよね。今上映中。わたしはこの真っ白気に顔を塗ったメリーさんを何度も横浜で見ています。ずっとずっと昔ですが、横浜に友人がいたのでよく横浜駅のゴールデン地下街を走り抜ける姿を見てました。横浜の人だったら誰でも知っている。娼婦。顔は真っ白でした。その頃ですでに65才くらいにはなっていたと思います。
住む家はありませんでした。たいていは白いきれいなドレスを着て、白いヒールをはいていました。わたしは紫色のタフタのようなショールを翻しているメリーさんを良く見かけました。新聞によると、衣装は好意でクリーニング屋さんがクローク係りをして置いていたそうで、近所の好意でずっと生活してたんですねえ。95年に忽然と姿を消し、最後は老人ホームで亡くなったそうです。
あの真っ白い顔はいつもどこかで見た顔だなぁと思っていましたが、それはロートレックの娼婦宿の絵にありました。これはわたしの昔からの推測ですが、メリーさんは多分ロートレックの娼婦の絵が好きだったんだと思うんですよ。だって、髪型だってそっくりなのがあるんですよー。映画にそんなインタビューがあったら、わたし、感動すると思いますねー。どうか、30才の監督さん、そんなインタビューしてますように。
あー、なんか全然眠れないなぁ。困ったなぁ。しかも、何書いてるのかわけわかんないもんねー。
とにかく、そうそう、一度会ったら忘れることのできない人、二人の話しでしたね。
おしまい
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