こちらも名門パブリックスクール。燕尾服が制服です。制服というのは、日本では皆が分け隔てなく平等にという意味もあるわけですが、この学校の制服を見てみると、明らかに一目で成績が優秀かどうか、そうでもないか、芸術に長けているか等々がわかるようになっている。つまり、他人との差異をハッキリさせる。能力や貧富さえも、一目瞭然とさせるということに力をそそいでいるように感じます。一番あからさまな例は、優秀なものにだけ許されるチョッキで、自由な柄、デザインを着ることができます。鼻高々でもありますが、彼らには彼らのすべき義務も課せられているに違いない。そうゆう教育が小さいころからされているのでしょう。英国に学んだ日本の昔の貴族にも、そうゆう意識はあったと・・・思います。(白洲次郎のドラマを見たすぐあとだったので、特にこんなことを感じました。彼はケンブリッジで学びました。ノーブリス・オブリッジ(フランス語:noblesse oblige)。“高貴なるものの義務”、立場のある者にはそれなりに責任が伴うんだという考え方を学んだのでしょう。)